【わたしの原子力秘史シリーズ 続編その16】「盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~」ドイツの核物理学者ハイゼンベルクはアメリカに狙われていた。そして日本の原爆開発計画。
NHKスペシャル 2015年11月01日 『「盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~」』
湯川博士、原爆投下を知っていたのですか: 最後の弟子 森一久の被爆と原子力人生
戦前の日本に存在した二つの核開発、「理化学研究所仁科研の二号計画」、「京都大学荒勝研のF研究」、というのが知られています。荒勝研とは荒勝文策(教授)の活動した原子科学研究分野での開発研究のことで、当時の大日本帝国であった台湾の台北帝国大学でなされた原子核反応と原子核構造の研究施設(コッククロフト加速器)を内地に持ち帰って続けられたものです。当時の京都帝国大学には「京都学派」と呼ばれるアジア世界に関する社会科学研究にすぐれた学識者がいましたから、荒勝氏をはじめとする核関係者が原子エネルギー開発の先端情報に接していたことは疑うべくもないでしょう。ただし、その当時の湯川秀樹は大阪大学の教授です。大阪大学には湯川、荒勝、仁科の大先輩ともいえる長岡半太郎がいました。長岡半太郎はイギリスケンブリッジ大学のラザフォード研に遊学した学識者で、戦前戦後のノーベル賞(物理学)の受賞者の多くはこの長岡の推薦を受けていたといわれるほど、世界の学界の情報に明るかったのです。湯川、朝永の受賞にも長岡の影響があるといわれています。湯川秀樹博士が当時原爆投下を知っていたとすれば、当然、長岡半太郎がまえもって情報を仕入れていたと考えられます。当時の欧州では、ニールス・ボーアという大家と若手研究者のヴェルナー・ハイゼンベルクというのが、これに似た状況だったといわれています。しかし、いずれにしても、原爆開発の舞台となった米国マンハッタン計画は連合国の主要メンバー、イギリス、フランス、オーストラリアなどと情報共有はしていたものの、この情報網から直接の情報が入っていたとは考えにくいと思います。もっとも戦争前の1939年にはアインシュタインから米国大統領あてに原子核によるエネルギー利用をすすめているので、大戦に突入する前から原爆が製造されることはある程度予想されていたと考えてよいと思います。
20年前に起きた日本のスノーデン事件。原子力研究所における盗聴事件、最初の報告は水戸地裁弁護士相談所、つづいて水戸市・茨城県の民間弁護士の二人に提出し、1999年には海渡雄一弁護士に届出されています。
《 秘密保護法を考える超党派議員と市民の勉強会(第一回) 》
OurPlanetTV ( 1:28 ) フルバージョン
http://www.ustream.tv/recorded/39704099…
【登壇・発言】
西山太吉さん(元毎日新聞政治記者)、田島泰彦さん(上智大学教授)
清水雅彦さん(日本体育大学准教授)、海渡雄一さん(弁護士)、
篠田博之さん(日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長)など
放送時間:午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
【わたしの原子力秘史シリーズ 続編その12】
今日、秘密保護法が大きな話題となっていますが、私の原子力秘史にとっては、すでに20年以上前、通信傍受法が施行されるまえから、この秘史が始まっています。20年前に、日本でスノーデンが起きていた、ということです。
元動燃の西村事件
私の母親が亡くなった94年前後、たしかに東海村界隈では不祥事をいかに外に伝えないか、ということに腐心していた時期です。私も、身近の同僚的上司から、原子力をさるにあたり「真実など伝わらないよ」という教えをいただきました。たしかにそうであったことは認めますが、それでいいのか??? と思います。
彼らが「真実など伝わらない」として安閑としていられるのは、原子力という層の厚さによるところ大だとおもいます。現場の東海村ですらも、ニュースを外に出そうという芽はつぶされもし、曲げられもします。そのうえに、茨城県行政は現場のことを知るやいなや、重石の蓋をしてきます。ネガティブ情報が霞が関の官庁に届くのはごくわずか、数パーセントにも満たないでしょう。
途中段階で司法関係者(とくに弁護士、警察)にコンタクトする可能性もありますが、司法関係者の独特の形式主義に嫌気がさして方向転換することもあるでしょう。問題の核心をすぐにつかめる司法関係者に出会えることは非常にまれです。
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