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【わたしの原子力秘史シリーズ 続編その16】「盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~」ドイツの核物理学者ハイゼンベルクはアメリカに狙われていた。そして日本の原爆開発計画。

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NHKスペシャル 2015年11月01日 『「盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~」』   1080p https://youtu.be/j2QF4vbjJEE めずらしく量子力学がでてくるので、拝見させていただきました。 ハイゼンベルクの暗殺計画 、というのはかなりマイナーな話題です。 マンハッタン計画 にいたオッペンハイマーとかフェルミが示唆したのでしょうか?ハイゼンベルクは原子核物理学の理論屋だけど、実験はやらないので、仮に当時原爆開発計画があったとしても、指揮はできないでしょう。彼が狙われるくらいなら、ベルリンのオットーハーンとか、パリのジョリオキュリーも狙われていたでしょう、実験開発もしていたので。しかし、時期は44年、マンハッタン計画が完成しかかっているころだから、米国が神経質になったのは無理からぬところがあります。ウラン鉱は金やダイヤモンドと同じく収率が低いので、大量の掘削が必要です。当時は、海外で展開していた鉱物資源掘削の大資本を中欧のズデーテン地方にむけて、大掛かりに資源探索を始めました。その資金を出したフランス政府やロスチャイルドも関係者の一つです。ノーベル賞を受賞したキュリー夫人がラジウム放射能を見つけられたのもこのおかげ、大量のウラン鉱採掘を行ったおかげです。 湯川博士、原爆投下を知っていたのですか: 最後の弟子 森一久の被爆と原子力人生 戦前の日本に存在した二つの核開発、「理化学研究所仁科研の二号計画」、「京都大学荒勝研のF研究」、というのが知られています。荒勝研とは荒勝文策(教授)の活動した原子科学研究分野での開発研究のことで、当時の大日本帝国であった台湾の台北帝国大学でなされた原子核反応と原子核構造の研究施設(コッククロフト加速器)を内地に持ち帰って続けられたものです。当時の京都帝国大学には「京都学派」と呼ばれるアジア世界に関する社会科学研究にすぐれた学識者がいましたから、荒勝氏をはじめとする核関係者が原子エネルギー開発の先端情報に接していたことは疑うべくもないでしょう。ただし、その当時の湯川秀樹は大阪大学の教授です。大阪大学には湯川、荒勝、仁科の大先輩ともいえる長岡半太郎がいました。長岡半太郎はイギリスケンブリッジ大学のラザフォード

【わたしの原子力秘史シリーズ その7】もんじゅ命名の由来とその問題、J-PARCの場合は?

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もんじゅ命名の由来 外部ブログより ◎永平寺「禅を学ぶ会」主催シンポジウム  永平寺が「脱原発」シンポジウムを開催する、というので夜行バスでかけてきた。飯舘村の酪農家の長谷川健一さんに9月にお会いした際、永平寺から講演を頼まれていると聞いていたこともある。長谷川さんの対談相手が小浜市の中嶌哲演住職ということもあり、早くから関心があったものの、どうしても行かなければという決定的な関心事は、永平寺が「もんじゅ」や「ふげん」の命名に関わっていたという新聞報道があったからだ。 以下は毎日新聞大阪朝刊(10月14日)からの転載。 『西田布教部長によると、いずれも菩薩(ぼさつ)の名前に由来する新型転換炉「ふげん」、高速増殖原型炉「もんじゅ」(敦賀市)の命名に、寺が関わったという。西田布教部長は「原発に対する認識が足りなかった私たちの責任は重く、間違いだった。懺悔(さんげ)することから始めたい」と戒めている』 http://asama888.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-ec8d.html 【わたしの原子力秘史シリーズ 続編その8】 J-Parc :: Japan Proton Accelerator Reactor Complex https://www.facebook.com/groups/121405585528/

【わたしの原子力秘史シリーズ その9】夢見がちな天文少年が核物理、原子核工学、原子力ムラのプロジェクトに手を染めた挙句、名付け親としてムラの極秘情報をにぎりこれを暴露するまでのいきさつ。

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茂木健一郎さんのタイムラインより 日本は、『普通の国』なんかになる必要はない!!! 私は、近代日本の悲劇は、政治が、いつも「周回遅れ」で「普通の国」を目指そうとしてきたところにあると思う。 https://www.facebook.com/kenichiromogiqualia/posts/536845109775484 わたしがこれにもうすこし言葉を継ぎ足すとすれば、おそらく、「周回遅れの野望」が悲劇のもとだった、ということになる。野望がなければ、「周回遅れ」で「普通の国」になるのは場合によってはうまくいくこともあるだろうが、問題は、「周回遅れ」なだけに、野望がないと物事動かなかったということ。 日本近代史で、どの時点で第二次世界大戦敗戦をさけられたか、という【歴史にもしもはない】クイズがなされることがあるが、日露戦争で負けていれば大戦につっこまなかっただろう、とか、日清日露戦争で大戦のレールがしかれ、日韓併合でレールの上を走り出した、などと言われる。 【わたしの原子力秘史シリーズ その9】 わたしの秘史も、周回遅れの日本の原子力の推進派や反対派につきあったあげく、いろいろな知見は得たものの、果たして進歩があったのかどうか、さだかではありません。もともとが天文少年なので、夜空の星をながめながら物思いにふける、というあたりが分相応だと思います。 ちなみに私は、天文少年であるだけでなく、これも下手の横好きで、考古学オタクでもあります。私がこの二大趣味を傍らにおいて忸怩たる思いをしながら、原子力の道に踏み込んだのは、ひとえに 親の因果が子に報い 、です。 昨今では、親孝行をするために子どもの進路を決める、なんてことはやりませんが、私の場合は、天文趣味や考古学趣味を親に反対されて、反発した挙句、就職を控えた大学院時代に親孝行の一つでもしてやろうか、と選択したのが、原子力工学という分野でした。工業関係の会社を経営する父親は、はたでみていて物づくりが上手いわけでもないのに、なぜか原子力でのものづくりを推奨し、母親は、息子が東京に行きさえせず近くにいてくれればどんな分野でもラッキーだったので、この二人との妥協によって進路を決めてしまいました。 このあたり、一貫性がなく、自分の人生の隘路を親のせいにして、主体的な人生設計をしていな

【わたしの原子力秘史シリーズ 続編その10】私の体験に酷似した90年代の核文学「神の火」、「アトミックボックス」、そして「原発ホワイト」へ。

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神の火〈上〉 (新潮文庫) 高村 薫 固定リンク:  http://www.amazon.co.jp/dp/4101347123 90年代にこのフィクション小説がでて話題になりました。 私は当時この小説の内容をしりませんでしたが、東京赤坂にあるゲーテインスティテュートというところで、ドイツ語講座に通っているときに、授業に出ていた人からこの本のことを教えてもらったことがあります。 サスペンス小説のような筋書きではありませんが、私にも似たような経験をしたことがあります。ゲーテ学院の授業に自衛隊から受講に来ていました。ドイツの在外公館に勤務するのが目的だということで、最後の授業のあと宴会を組織するのが絶妙に上手い多芸の人だと感じましたが、自衛隊や官庁の人がわざわざ語学学校に来るというのが奇妙でした。 オメガ計画 の経緯はひょっとするとこういうところにあるかもしれません。 日本人と原爆、原発 池澤夏樹(作家) が語る 「アトミック・ボックス」 さらに、「神の火」にも近いストーリーの 「アトミック・ボックス」 私のオメガ計画に関する体験もこういう話に近いです。 【わたしの原子力秘史シリーズ 続編その15】 原子力抜け忍戦隊ー原発ヤメタンジャー 旧科学技術庁水戸原子力事務所の車両とカーチェイスをしたというのは本当の話です。当時住んでいた水戸三の丸から、東海村へ出勤途中不審な車が後をつけてくるので、途中で待ち伏せし、車両の後を1時間くらい追跡して写真を撮りました。明確な文言がなにもなく、意図の不明なことを繰り返すのはやめて欲しいと思いました。 原発ホワイトアウト 若杉 冽 固定リンク:  http://www.amazon.co.jp/dp/4062186179 原発ホワイトアウトは、311以降の原発政策をめぐる状況をいろいろなアクターにロールプレイさせながら描いていますが、若干ごちゃまぜ感があります。 また現時点で運転状態にある原発サイトが記事の対象になっており、ジェイパークや時期計画や加速器駆動型未臨界原子炉のような次世代に投資する話はもりこまれていません。 なので、直接の関係は薄いですが、原発ホワイトアウトのなかに目を引くものもあります。 1.もんじゅ西村裁判(解説

【わたしの原子力秘史シリーズ その9】フランスで行った放射線医学生物学の研究

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北川 高嗣さんの記事より https://www.facebook.com/photo.php?fbid=698440100249598&set=a.171097882983825.40151.100002508448098&type=1&theater 【写真】ICRP111 毎日摂取すると、140倍まで体内濃縮されます。(但し2−3年かかります) 20ベクレル/日獲れば(もちろん基準値以内)、2800ベクレル/Bodyで飽和。 体重60Kgの人なら、40Bq/Kg超となり、長期的(5−10年)には、 様々な健康被害リスクを負います。 【わたしの原子力秘史シリーズ その9】 日本の原子力では物理しかやって来なかった私ですが、渡仏をして放射線医学生物学の研究により学位を得ました。いきなりこういういきさつになったわけでもなく、いろいろと曲折があったのですが、要するところ、実は、フランスの原子力事情の琴線に触れるビンゴ( 逆鱗) を引いてしまった、ということでございます。 日本の原子力事情でも、なぜか私はそういう場面がおおいのですが、ともかく、フランスでの事情は相手方の人事も含むので、折を見て説明させてください。 ICRP111勧告がだされて、ようやく、ECRR(欧州放射線リスク委員会)の提唱する内部被曝、放射線の線量応答の環境仮説(バイスタンダー効果)を認める下地ができてきました。 311事故後によく話題になったように、放射線の生物への線量応答には幾つかの対立仮説があります。福島事故の影響である、放射線被曝を1mSv/yにおさえるか、100mSv/yまで認めるか、という行政判断の基になります。 1.LNT(Linear Non Threshold)比例直線しきい値なし 2.しきい値あり 3.ホルミシス効果 4.バイスタンダー効果 このうち、1)と2)は、放射線生物被爆の効果がよくわかっていなかった頃につくられたもので、いまだにこの基準を使うのは時代遅れという評価もありますが、対立学説である3)と4)がはっきりわからない段階では、人為的設定として古いものでも使わざるを得ない状況にあります。 私がフランスでやった研究は、3)と4)の対立学説についてです。とくに、ICRPの戦前の組織や、第二次大戦中の放射線防護勧

【わたしの原子力秘史シリーズ 続編その11】日本の核武装計画、湯川秀樹、荒勝文策、湯浅年子、そしてパリ大学オルセー研究所にて

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 再放送です。  NHK教育  日本人は何をめざしてきたのか  「第1回 湯川秀樹と武谷三男」   http://www.nhk.or.jp/postwar/program/schedule/  放送日:7月12日(土)  放送時間:午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜) 日本人として初めてノーベル賞を受賞し、日本国民に希望と誇りを与えた「偉人」として顕彰される物理学者湯川秀樹。  しかしあまり知られていないことがあります。湯川は太平洋戦争中、原子爆弾開発に関わりました。彼のノーベル賞受賞は、原爆開発研究が基礎となっていました。  戦後、湯川は共同研究者の武谷三男とともに「科学者の社会的責任」を唱え、原子力の平和利用のあり方を模索しました。武谷は原子力研究の「自主」「民主」「公開」の三原則を主張しました。  1956年に原子力委員会の委員となった湯川は、海外からの原発の早期導入を進める方針に対し、自主的な基礎研究を重視するよう主張し、辞任しました。そして晩年まで核兵器の廃絶を訴えました。  湯川と武谷の二人は「原子力」とどう向き合ったかを追います。 【わたしの原子力秘史シリーズ 続編その12】 荒勝文策 http://ja.wikipedia.org/…/%E8%8D%92%E5%8B%9D%E6%96%87%E7%AD… 専門は原子核物理学。理化学研究所の仁科芳雄、大阪帝国大学の菊池正士と共に、日本を代表する原子核物理学者であった。台北帝国大学教授時代の1933年には、アジアで初めてコッククロフトワルトン型加速器を作り、原子核人工変換の実験を成功させた。1939年には、ウランの核分裂によって新たに生じる中性子の数をカウントして、ほぼ正確な数字2.6(2009年現在では2.5とされる)を得た。ウランの原子核分裂は当時の物理学で最先端の分野で、世界中の研究者が同様の実験をしていたが、この数字は現代の目から見るともっとも優れたものであった。 1941年5月、日本海軍より原子核分裂の技術を用いた爆弾の開発を依頼された。時期としては、アメリカの原爆開発開始と比べても決して遅れたものではなかった。この計画には湯川秀樹らも加わっていた。一方で、日本陸軍は理研の仁科芳雄に原爆の開発を依頼し、「海軍-京大」「陸軍-理研」という2つの研究開