【わたしの原子力秘史シリーズ 続編その11】日本の核武装計画、湯川秀樹、荒勝文策、湯浅年子、そしてパリ大学オルセー研究所にて

 再放送です。
 NHK教育
 日本人は何をめざしてきたのか
 「第1回 湯川秀樹と武谷三男」
 http://www.nhk.or.jp/postwar/program/schedule/
 放送日:7月12日(土)
 放送時間:午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)





日本人として初めてノーベル賞を受賞し、日本国民に希望と誇りを与えた「偉人」として顕彰される物理学者湯川秀樹。
 しかしあまり知られていないことがあります。湯川は太平洋戦争中、原子爆弾開発に関わりました。彼のノーベル賞受賞は、原爆開発研究が基礎となっていました。
 戦後、湯川は共同研究者の武谷三男とともに「科学者の社会的責任」を唱え、原子力の平和利用のあり方を模索しました。武谷は原子力研究の「自主」「民主」「公開」の三原則を主張しました。
 1956年に原子力委員会の委員となった湯川は、海外からの原発の早期導入を進める方針に対し、自主的な基礎研究を重視するよう主張し、辞任しました。そして晩年まで核兵器の廃絶を訴えました。
 湯川と武谷の二人は「原子力」とどう向き合ったかを追います。


【わたしの原子力秘史シリーズ 続編その12】
荒勝文策
http://ja.wikipedia.org/…/%E8%8D%92%E5%8B%9D%E6%96%87%E7%AD…
専門は原子核物理学。理化学研究所の仁科芳雄、大阪帝国大学の菊池正士と共に、日本を代表する原子核物理学者であった。台北帝国大学教授時代の1933年には、アジアで初めてコッククロフトワルトン型加速器を作り、原子核人工変換の実験を成功させた。1939年には、ウランの核分裂によって新たに生じる中性子の数をカウントして、ほぼ正確な数字2.6(2009年現在では2.5とされる)を得た。ウランの原子核分裂は当時の物理学で最先端の分野で、世界中の研究者が同様の実験をしていたが、この数字は現代の目から見るともっとも優れたものであった。
1941年5月、日本海軍より原子核分裂の技術を用いた爆弾の開発を依頼された。時期としては、アメリカの原爆開発開始と比べても決して遅れたものではなかった。この計画には湯川秀樹らも加わっていた。一方で、日本陸軍は理研の仁科芳雄に原爆の開発を依頼し、「海軍-京大」「陸軍-理研」という2つの研究開発が別々に並行して進められた。もともと工業力や人的資源の厚みに劣る日本にとって、このような計画は無謀であったと言えよう(詳細は日本の原子爆弾開発を参照)。






荒勝文策の名前は、学部学生の頃に偶然、図書館で古書をめくっていて目にしました。それ以外にも、週刊誌などでときたまジャーナリスティックに掻き立てられた記事を同級生たちと面白半分に読んだりして、そこに荒勝氏や湯川氏の名前が出てくるのをふーんと感心したりしていました。この荒勝(氏)があとあとになって影響するとは思いも寄りませんでした。


接点は、リシウム原子核の分解反応というもので、現代の原子核物理研究では、少数多体系核子問題というジャンルになっています。荒勝氏は、戦前、旧台北帝大でリシウム原子核の分解反応を最初に報告しており、台北帝大から京都大学に研究を持ち帰った結果、戦後も脈々として少数多体系核子問題が研究テーマとして扱われることになったので、その一端が私の大学院研究にも導入された、ということであります。


もっとも、学術研究分野としてみた場合、並み居る諸先輩方に加えて、現役の研究者の方も多いので、この分野の研究の意義を貶めるような表現は避けようと思います。

【荒勝文策から湯浅年子へ】

湯浅年子
http://ja.wikipedia.org/…/%E6%B9%AF%E6%B5%85%E5%B9%B4%E5%AD…
浅 年子(ゆあさ としこ、1909年12月11日 - 1980年2月1日)は日本の物理学者である。パリのコレージュ・ド・フランス原子核化学研究所、CNRS(フランス国立中央科学研究所)で研究した。日本国外で活動した初の日本人女性物理学者といわれる[1]。
このて少数多体系核子問題を引き継いで研究した人の中に、湯浅年子という方がいます。
その方面では名前の知られた故人ではありますが、私がパリ滞在時代に耳にした人物でした。


パリ大学オルセー校の原子核物理研究部門というところに一時期所属した私は、湯浅年子を知る3人のフランス人と話をした。一人は核力少数多体系(いわゆる三体問題)の核実験研究者で、湯浅年子と直接共同研究をした経験のある人であった。あとの二人は技官であったが、一人は湯浅年子の指導で博士学位を取得し、もう一人は若い時から技官で勤めていた人だが、直接の指導関係はなかったらしい。


 

その後、私はパリ大学に属し、CNRS研究者でコレージュドフランスの原子核物理学研究者(ポリテク出身)のジャックマイヤールという方と加速器駆動型未臨界原子炉ADS(いわゆるルビアトロン)の共同研究をした。その当時は、湯浅年子やキュリー夫妻の使用していたサイクロトロンがまだコレージュドフランスには設置したままになっており、残留放射能が低くなってから除去され、数年たってから国立工芸技術院CNAMの技術博物館へ移送された。私は、ジャックマイヤールとともにADSの研究をして、ルビアトロンに対する日本への警告という意味の論文を書いて、総研大というところのサークルで発表した。

彼のアイデアは、1GEV程度の高強度陽子ビーム加速器計画よりも、30-50GEVの加速器計画の方を重視していたわけだが、のちに、これがオメガ計画を根底から崩す要因となった。オメガ計画は、素粒子宇宙の基礎科学が目的ではなく、核燃料サイクルを作り上げることが目的で、核武装に役立つからである。欧州原子核共同体CERNのカルロルビアが消滅処理・オメガ計画のためのADSシステムを導入しようとしたのは、軍事産業のテコ入れを受けていたからであり、フランスの研究者をはじめとして、ジャックマイヤール達はこれにつよく反対していたのである。



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