【わたしの原子力秘史シリーズ 続編その4】

続いて
イコマ レイコ さんより、
年間20ミリシーベルトという基準を赤ん坊に対しても適用してしまうということを今日本の政府はやろうとしている。...31人の赤ん坊のうち1人がやがてガンで死んでしまうという危険.....小出 裕章
そんなもの、私は到底許せることが出来ない基準だと思っているんです。
 アナーキー、ヒロアキー / 許せない赤ん坊への被曝許容線量基準





【わたしの原子力秘史シリーズ 続編その4】


小出裕章さんが京都大学の現職教員で脱原発活動をされていることはよく知られています。小出さんが在職されている京都大学の原子炉実験所は大阪府熊取というところにあり、俗に熊取実験所と言われているが、これは大学に付置された全国共同利用施設であり、教育研究目的で全国の大学から利用が可能です。熊取実験所には、大まかに言って二つの施設があり、一つは臨界集合体(KUCA)と原子炉(KUR)があります。
臨界集合体は、原子炉燃料の組み合わせや配置を変えて、臨界未臨界状態をいろいろに調べることができる、原子炉工学の要のようなもので、この施設をもっている教育機関は世界中にも少ない。原子炉のほうは、通常の運転状態で発生される中性子を物質素材研究に利用する形態がおおく、このタイプのものは日本国内にもあり世界中にも多くある。
小出さんとその研究仲間(同僚職員)の計6名が、熊取6人組(六人衆)といわれているようですが、私も大学在学時代から聞いたことがありました。



【熊取六人衆】

熊取六人衆(くまとりろくにんしゅう)は、原子力利用の危険性について研究し、追究し続けてきた京都大学原子炉実験所原子力安全研究グループの6人の科学者の総称、通称。


大学院に進学して研究の真似事をし始めると、研究室の成り立ちなどを聞きかじりで頭に入れおく必要があります。私の場合、天文少年がなぜか原子力をかじる事になり、結果としては、動乱の数年間を過ごすことと相成ったわけですが、私の師事した研究室の主催教官の方が、この熊取六人衆のスーパーバイザーでありました。熊取以外の大学キャンパスにある教室学部に所属する脱原発研究室を総称して熊取六人衆プラスアルファと呼ばれていたのですが、実際にはプラスアルファという付け足し的存在ではなく、反原発のメルトコア過臨界状態です。
当然ながら、教育機関の内部問題として、推進派・反対派の主戦場となり、まともな学生ならばそういうヤバイところは避ける、という思慮が働くはずなのですが、なにせこの頃の学生はいまのネット環境と違って、情報収集もしないズボラな人たちばかりでしたから、私も例にもれず、ビンゴを当てたわけです。
それでも、研究室で私が仰せつかったのは、原子核の構造と反応の研究というもので、もちろん教育機関として恥ずかしくない内容であったとおもいます。
現在の大学の教育研究規定は、当時よりもやや厳しめになっており、小出 裕章先生の所属する部署もそうですが、現在では脱原発の研究を主催する研究室に学生が所属することは困難であろうと思われます。
で、当時の私はどうであったかというと、熊取六人衆プラスアルファの只中にいながら、脱原発の研究というものをやったことがありませんでした。研究室の主宰教官は、チェルノブイリ原発からのフォールアウトや欧州からの輸入食品に残留放射能があることを国内で最初に報じた優秀な業績を残されたのですが、私はひたすら宇宙と素粒子原子核の蜃気楼を追い続けていました。
一方で、大学院の教育研究は複数の指導教官の指導によるとされ、私の形式上の主査は原子力のドンとも言うべき先生で、福島原発の国会事故調査の監修をなさっています。実は、若い頃に、こういう「原子力のドン」名士の方々とすれ違っており、現在東海村にあるJAEA(日本原子力研究開発機構)の機構長松浦祥次郎氏もよく存じ上げております。
原子力ホナサイナラの私には、いまとなっては必要のない知己人脈ですが、私が何を言っても大勢にはほとんど影響はないので、秘史シリーズの中に含めました。

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