【わたしの原子力秘史シリーズ その5】人形峠のウラン鉱からJ-PARCにいたるまで
再び、北川 高嗣さんのタイムラインから
表現の自由:【11】 国民の知る権利に関する 石破理論。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=702792023147739&set=a.171097882983825.40151.100002508448098&type=1&theater
いろいろな意味で話題に上がる石破茂氏ですが、彼は実は、私の同郷の士でありまして、茂氏が父親の石破二朗代議士の看板(鳥取一区)を嗣いだときから、なにかと地元でも話はありました。といっても、茂氏とは直接の面識はなく、私もさすがに自民党の議席などどうでもよいので、地元の冠婚葬祭にでてくる氏の写真をときたま眺める程度です。
石破氏と東電株保有の件もときたま話題に上りますが、鳥取県には意外なことに原子力関連の施設があり、鳥取-岡山県境にある人形峠というところで、ウラン鉱の採掘をしていました。
【わたしの原子力秘史シリーズ その5】
人形峠鉱山(ウラン鉱)
鳥取県側には1955年に発見されたウラン鉱床がある。一時はウラン濃縮原型プラントも建設され、盛んに国産資源活用の道も探られた。しかし、品質が低く採算に合わないため、採掘は中止。2001年にはウラン濃縮原型プラントも閉鎖。閉山までに採掘された鉱石は約9万トンで、濃縮され取り出されたウランは84トンであった。それらは燃料に加工され純国産燃料として1979年(昭和54年)の出荷を手始めに日本各地に出荷され、主に実験などに利用された。現在は日本原子力研究開発機構人形峠環境技術センターが開設され、研究が行われている。
日本で産出されるウラン鉱はそれほど優良でもないので、人形峠も中途半端なまま採掘終了となっていますが、試掘がはじまった1950年代にはブームであったようです。私が急原研に就職して図書館で古い文献をみると、その頃のウラン鉱試掘のようすが書かれていました。最終的に、人形峠に開発地区を定めるまえに、この周辺鳥取県域のいろいろな場所で土砂を掘り返してはウラン鉱があるかないかを調べる試掘工事があちこちで行われていたようです。
私の幼少期は1960年代ですが、この頃に、住んでいた地域のあちこちで、道路や平地がデコボコになっていたのを思い出します。文献で記されているような、ウラン鉱の試掘で土砂が掘り返されていたのかどうか、定かではありませんが、それに類するようなことが行われていたのでしょう。
で、この人形峠のウラン鉱採掘はあとあとになってウラン残土という問題をもたらし、一時期90年代には住民運動が激しくなったので、開発元の現機構(JAEA)がウラン残土からのレンガ材をつくって、自社建築物等に利用することで一応の決着をみましたが、周辺地域では、現在までも残滓漏出の問題が起きています。
この地域は、三朝(みささ)温泉、羽合(はわい)温泉という温泉の出る風光明媚なところで、私も、少年時代には、友達と自転車で温泉に浸かりに行き、帰りがけには、たくさんあるナシ畑に入って実になっている梨を頂戴していく、というワルガキをやっておりました。その山林の一角が、ウラン残土問題を抱えている地域です。
特に、三朝温泉は、放射能元素のラドン・ラジウムが泉水に含まれることでしられており、ラジウム発見を記念してキュリー夫人を称えるキュリー祭というのが毎年夏ひらかれ、フランス人関係者がおとづれることになっています。
実際には、世界中の温泉でラジウム・ラドンがでることはそうめずらしいことではなく、後背地の人形峠山地の開発を手がける総合商社(伊藤忠)が観光の目玉作りとして仕掛けたのでしょう。
学生の頃、フランス語をならっていた日仏学館(京都)のフランス人教師が、在日仏公館の人達と毎年キュリー祭に呼ばれていくが、露天風呂に女性がはいっている広告写真につられて風呂に入りに行ってはいけない、と言っていました。実際に、入ってみると地元のじじばばばかりで、がっかりした、ということのようです。この先生は、首都ラスブールのご出身で、多少訛りのあるフランス語だったのですが、非常に私のお気に入りの先生でしたが、私が渡仏した頃に若くしてお亡くなりになっています。
フランスと日本の原子力の関係も、いまとなっては、世間の皆様にお叱りを受けることがおおくなってしまいましたが、一時期は、主力の日米原子力協定の影でマイナーな存在として一定数のファンもいました。
工学も原子力研究もとんと不得手な私が旧原研時代に、成し遂げた唯一の業績(?)が、新規事業の名前付けです。大強度陽子加速器施設というのがそれなのですが、90年代に、素案が出され、その名称(愛称)を所内で公募していたので、ジェイパークという名称を冗談半分に応募したのですが、あれよあれよというまに、採用されて国策になってしまいました。
このあたり、もんじゅ原子炉の名前をつけたとされる敦賀のお寺の住職さんが、文殊という名前を提供して後々公開することになった、と述べられておられますが、それに近い感想を私も持っています。
このジェイパークという施設、大強度陽子加速器施設が決められた時の原子力内部の事情はちょっと複雑なので、これはまた次回にします。
J-Parc :: Japan Proton Accelerator Reactor Complex
https://www.facebook.com/groups/121405585528/
愛称はジェイパーク(J-PARC) 2002.10.31
http://legacy.kek.jp/newskek/2002/sepoct/j-parc.html
【ジェイパークとは】
大強度陽子加速器施設は、読んでお分かりのように陽子の加速器を組み合わせた研究施設です。それを英語で表記すると Proton Accelerator Research Complex ですが、これにJapanを付けて頭文字を連ねるとJ-PARCとなります。それをカタカナ表記にしたのがジェイパークで、大強度陽子加速器研究施設の特徴を英語表記で示した略称となっています。
英字表記のPARCは一方でフランス語では公園を意味します。私たちもパークといえば公園を思い浮かべますが、この施設が建設されている東海村の現場は松林が連なる地区で、公園というイメージとよく合います。また、JはKEKと日本原子力研究所の共同プロジェクトを指すJointのJともとれ、このプロジェクト施設の愛称としてはぴったりの名前になったようです。このページでも今後は大強度陽子加速器施設の代わりにこの愛称を使いますので、皆さんも覚えてください。
表現の自由:【11】 国民の知る権利に関する 石破理論。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=702792023147739&set=a.171097882983825.40151.100002508448098&type=1&theater
いろいろな意味で話題に上がる石破茂氏ですが、彼は実は、私の同郷の士でありまして、茂氏が父親の石破二朗代議士の看板(鳥取一区)を嗣いだときから、なにかと地元でも話はありました。といっても、茂氏とは直接の面識はなく、私もさすがに自民党の議席などどうでもよいので、地元の冠婚葬祭にでてくる氏の写真をときたま眺める程度です。
石破氏と東電株保有の件もときたま話題に上りますが、鳥取県には意外なことに原子力関連の施設があり、鳥取-岡山県境にある人形峠というところで、ウラン鉱の採掘をしていました。
【わたしの原子力秘史シリーズ その5】
人形峠鉱山(ウラン鉱)
鳥取県側には1955年に発見されたウラン鉱床がある。一時はウラン濃縮原型プラントも建設され、盛んに国産資源活用の道も探られた。しかし、品質が低く採算に合わないため、採掘は中止。2001年にはウラン濃縮原型プラントも閉鎖。閉山までに採掘された鉱石は約9万トンで、濃縮され取り出されたウランは84トンであった。それらは燃料に加工され純国産燃料として1979年(昭和54年)の出荷を手始めに日本各地に出荷され、主に実験などに利用された。現在は日本原子力研究開発機構人形峠環境技術センターが開設され、研究が行われている。
日本で産出されるウラン鉱はそれほど優良でもないので、人形峠も中途半端なまま採掘終了となっていますが、試掘がはじまった1950年代にはブームであったようです。私が急原研に就職して図書館で古い文献をみると、その頃のウラン鉱試掘のようすが書かれていました。最終的に、人形峠に開発地区を定めるまえに、この周辺鳥取県域のいろいろな場所で土砂を掘り返してはウラン鉱があるかないかを調べる試掘工事があちこちで行われていたようです。
私の幼少期は1960年代ですが、この頃に、住んでいた地域のあちこちで、道路や平地がデコボコになっていたのを思い出します。文献で記されているような、ウラン鉱の試掘で土砂が掘り返されていたのかどうか、定かではありませんが、それに類するようなことが行われていたのでしょう。
で、この人形峠のウラン鉱採掘はあとあとになってウラン残土という問題をもたらし、一時期90年代には住民運動が激しくなったので、開発元の現機構(JAEA)がウラン残土からのレンガ材をつくって、自社建築物等に利用することで一応の決着をみましたが、周辺地域では、現在までも残滓漏出の問題が起きています。
この地域は、三朝(みささ)温泉、羽合(はわい)温泉という温泉の出る風光明媚なところで、私も、少年時代には、友達と自転車で温泉に浸かりに行き、帰りがけには、たくさんあるナシ畑に入って実になっている梨を頂戴していく、というワルガキをやっておりました。その山林の一角が、ウラン残土問題を抱えている地域です。
特に、三朝温泉は、放射能元素のラドン・ラジウムが泉水に含まれることでしられており、ラジウム発見を記念してキュリー夫人を称えるキュリー祭というのが毎年夏ひらかれ、フランス人関係者がおとづれることになっています。
実際には、世界中の温泉でラジウム・ラドンがでることはそうめずらしいことではなく、後背地の人形峠山地の開発を手がける総合商社(伊藤忠)が観光の目玉作りとして仕掛けたのでしょう。
学生の頃、フランス語をならっていた日仏学館(京都)のフランス人教師が、在日仏公館の人達と毎年キュリー祭に呼ばれていくが、露天風呂に女性がはいっている広告写真につられて風呂に入りに行ってはいけない、と言っていました。実際に、入ってみると地元のじじばばばかりで、がっかりした、ということのようです。この先生は、首都ラスブールのご出身で、多少訛りのあるフランス語だったのですが、非常に私のお気に入りの先生でしたが、私が渡仏した頃に若くしてお亡くなりになっています。
フランスと日本の原子力の関係も、いまとなっては、世間の皆様にお叱りを受けることがおおくなってしまいましたが、一時期は、主力の日米原子力協定の影でマイナーな存在として一定数のファンもいました。
工学も原子力研究もとんと不得手な私が旧原研時代に、成し遂げた唯一の業績(?)が、新規事業の名前付けです。大強度陽子加速器施設というのがそれなのですが、90年代に、素案が出され、その名称(愛称)を所内で公募していたので、ジェイパークという名称を冗談半分に応募したのですが、あれよあれよというまに、採用されて国策になってしまいました。
このあたり、もんじゅ原子炉の名前をつけたとされる敦賀のお寺の住職さんが、文殊という名前を提供して後々公開することになった、と述べられておられますが、それに近い感想を私も持っています。
このジェイパークという施設、大強度陽子加速器施設が決められた時の原子力内部の事情はちょっと複雑なので、これはまた次回にします。
J-Parc :: Japan Proton Accelerator Reactor Complex
https://www.facebook.com/groups/121405585528/
愛称はジェイパーク(J-PARC) 2002.10.31
http://legacy.kek.jp/newskek/2002/sepoct/j-parc.html
【ジェイパークとは】
大強度陽子加速器施設は、読んでお分かりのように陽子の加速器を組み合わせた研究施設です。それを英語で表記すると Proton Accelerator Research Complex ですが、これにJapanを付けて頭文字を連ねるとJ-PARCとなります。それをカタカナ表記にしたのがジェイパークで、大強度陽子加速器研究施設の特徴を英語表記で示した略称となっています。
英字表記のPARCは一方でフランス語では公園を意味します。私たちもパークといえば公園を思い浮かべますが、この施設が建設されている東海村の現場は松林が連なる地区で、公園というイメージとよく合います。また、JはKEKと日本原子力研究所の共同プロジェクトを指すJointのJともとれ、このプロジェクト施設の愛称としてはぴったりの名前になったようです。このページでも今後は大強度陽子加速器施設の代わりにこの愛称を使いますので、皆さんも覚えてください。
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